当たり前とその外側
今私たちには何かを相手がおかしいと思う行動を見ると、
「常識」がないだとか、おかしいとかを自分の正義に混ぜて、
すぐ文句を言ってます。
これは学校でもあることで、
学年が上がる度に、ここまでの勉強ができるのは当たり前、
これくらいみんなできるという認識で見られます。
中学校、小学校、は何にもしなくても卒業できますからね。
そして今の私たちはいろんな人の様々なレッテルを貼られて生きています。
昔も変わらないのかもしれませんが、
だいたい人間は自分はできないことをできると思う人間ばかりなので、
勝手に貼られたレッテルの行動が出来ないと即できないやつ決定です。
こっちからしたら理不尽極まりない。
しかも勝手に自己責任です。
悪いレッテルを貼られるともう身動きを取れなくなってしまいます。
どうしてこんな状況になってしまうのでしょうか?
なぜなら常識という認識自体が小さい世界ものであるからです。
自分がそう決めつけているのは今まであった、小さな人間関係の一つだからです。
常識なんて括りを基礎にしている時点でもう小さいやつなのです。
周りの人間と、メディアやSNSのアクティブな人たちの意見に乗せられて、
結局、自分の正義のように感じるエゴを押し付けているだけなのです。
これは世界からするとちっぽけな一部なのです。
だからみんなに合わせたり、これが当たり前と思う必要はありません。
自分たちが思うみんななんて少数なのだから。あなたの考え自体もね。
本当は人気なんてあくまで相対的人気なのです。
何かと比べているだけです。
ただ、寛容になりましょう。
みんなを知る必要はないし、合わせる必要もないのです。
そうすれば少なくとも自分は窮屈に感じなくなると思います。