フィンの趣味

ネットで見つけられなかった自分の気持ちを書いていく。修正を繰り返すため、文章として崩壊している可能性あり。

一人でゲームをする面白さ

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誰にも干渉されずゲームをすることは、結果的に楽しいかもしれない。

だいたいゲームに関係なく何かを強くなろうとするためには、

強い人から教わることがベストである。というのがほとんどである。

 

世の中の事柄のほとんどは強い人から教わる。

人間はそうして生きてきたわけでもあるし、

何よりそのほうが圧倒的に成長が早いからである。

早い段階からどんどん強くなっていき、

最初から簡単に勝てるようになるかもしれない。

自分の周りに自慢できるかもしれない。

いわば、経験値を一気にもらい、レベル上げをスキップできるのである。

 

ただ、これには一つ問題点がある。

 

最初はどんどん勝ち進むことができるが、段々と、限界が来てしまう。

小学校のテストは余裕だったのに、

中学生になった途端にテストの点数がガタ落ちするような状況に陥るのである。

ここでだいたいの人が大きな挫折感を味わい始める。

負けが続くと勝ちにこだわり始め、ストレスが蓄積する。

そして、勝ちたいがために、チートや代行をする者もいる。

ゲームをせっかく始めたのに、

いつの間にかストレスを発散どころか、溜まってしまうのである。

 

だから敢えて誰にも教わらずにゲームをしてみる。

ルールも見ず、何をしているかわからない状況で、ただ、ひたすらに。

ゲームは何をしてもいのである。(違反行為はやめてほしい)

ゲームで何が楽しいのかは人それぞれかもしれないが、

大体の人間の楽しみは発見から来ているものであると思う。

 

人の発見を驚くより、自分で見つけることがとても重要だと考える。

一人の小さな発見がとても楽しいと私は思う。

 

また、過程が楽しいとも思う。

だんだん少しずつできるようになっていく、

という成長している感覚がまた面白いと感じる。

実況プレイや世界世界大会を見て、真似をしようとすることもいいかもしれないが、

結局みんな真似をするので平均レベルを上げただけで、

レーティングにあまり伸びしろがなく、

半分以上の人が不幸になるのではないか、

ということをものすごく危惧しているからこうして、思ったことを書き起こしている。

要は勝利は不幸を他人に押し付けている。

ということを意識してプレイを心がけていくことが大切である。