フィンの趣味

ネットで見つけられなかった自分の気持ちを書いていく。修正を繰り返すため、文章として崩壊している可能性あり。

やる気が続かないし原因もわかるが結局続かない

このブログが開設されて二年か三年くらいになるが最初の一年しかまともに書こうと思っていなかった。

今たまたま開いたので、書くことにしたが、正直もう書くことがない。

明日になれば何か思い浮かぶかもしれないが、今日何とかやる気を残すための儀式として、この記事を書くことにする。

最近本をkindleで読むことにしたが、全くといっていいほど、違う人生を生きている人間の話を読んで、なんで自分はこういう道をこの本を読むまで知ることがなかったのだろうかと、読むたびに無知であることを自覚していく。

そして何より出版社が出している本は読みやすい。

理由は調べればいくらでも出るだろうから書かないが、簡単に理解したと錯覚できる。

成功体験をしたような達成感を得る感覚に一瞬浸るが、自分の現実を取り戻してすぐ元に戻る。

これは私だけの話かもしれないが、基本的に自分の成長なる物を計算に入れて生きていないし、これからもずっとそうだろうと感じている。

だから、成功体験がおとぎ話のように聞こえる。

テレビでもネットでもニュースを見ると成功者や明らかに見せしめにされている人間を見ることになるが、こういう人間は、氷山の一角でしかない。

だが見えることによって、一角以外に影響を与えるし、見えない者たちもそれに汚染されて、思考を真似たり、話題を操作される。

自分で目にするものというのは、画面の中には偶然性はほとんどないし、偶然と勘違いさせられて、必然である。

いざ現実世界に出てみても、通勤レベルだと同様である。

そのうち選択肢を完全に広告側に決められてしまわないか非常に不安である。

私は別にアイドルは好きではないが、一体何人のアイドルを見たことがあって、

見たことがないのは何人いるのだろうかと思うときがある。

いくら検索をかけようとすべてのアイドルを見ることは決してないだろうし、

そもそもそんなことしようとも思わないが。

インターネットによって調べたら何でも出てくるわけではあるが、

実際、見て良かったと心から思えるサイトは多くない。

そもそも調べなければ、それはユーザーにとってないものと同じなのだ。

だから簡単に見せることのできる手段でますます自分の視野が狭くなっていくのではと

危機感を感じているところである。

最後にこのブログも誰かに読みやすいように文書構成を考えたこともないが、

これからも考えることはない。このブログの要点とか何を伝えたいかとかも考えていないこと申し訳ない。